家族、スタッフとともに、10年続けた世界への挑戦

「シャロン甘洋堂」という店名に掲げている「シャロン」は、当店の看板商品です。昭和44年(1969年)に和洋菓子店を始めた父 洋三が「一生一品」として作り続けてきたこの「銘菓シャロン」の評価を問うために、2代目を継ぐ私 石黒和彦は、世界の品質評価機関である『モンドセレクション』への挑戦を10年間、続けてきました。2023年、最も名誉ある「 Prize of the Jury(プライズ・オブ・ザ・ジュリィ、審査員賞)」の栄誉に輝いた「銘菓シャロン」は当店の誇りであり、青森県黒石市、人口3万人ほどの小さな街の小さな菓子店の存在を世に知らしめてくれた立役者です。「 銘菓シャロンがお客様に愛され続けるために、いま何が足りないのか? 」。そんな問いに製造、販売にあたる家族とスタッフが向き合い続けた10年間の軌跡を残します。
2025年7月
2023年、審査員の満場一致で最高に名誉ある賞に
2023年6月5日、ベルギーのブリュッセルでシャンデリアが光り輝く華やかな『モンドセレクション』の授賞式会場に、私と妻はいました。モンドセレクションへの8回目の挑戦となったこの年は、準備期間に経験したことのないパンデミックと直面し、ともすれば挫けそうになる気持ち、モチベーションをスタッフや家族と共に支え合いながら準備を進めていて、継続して最高金賞を勝ち取れるか不安を抱えながらの応募でした。授賞式では、会社名と国名が読み上げられ賞を発表されます。中央ステージに上がり、モンドセレクション最高責任者のジョルジュ・ドゥ・ブルアン会長から最高金賞、金賞、銀賞、銅賞の賞状とメダルをそれぞれ授与されます。いざ私たちの番になり、読み上げられた賞の名称は「最高金賞」!私と妻は、5回目となる最高金賞の連続受賞を喜び、胸を撫で下ろしました。
実はこの時、各カテゴリーの最高峰として1品だけが選ばれる「Prize of the Jury」の発表も気になっていたのです。「もしかしたら?」という期待を胸に、司会の方の声を待ちました。そして、世界87カ国1020品の中から食品部門で唯一の品として呼ばれたのは、、、なんと私たちの「銘菓シャロン」でした!!「おおぉ~!」と思わず叫びながら立ち上がると、目の前のもやが突然開けてお日様が現れるかのような気持ちでした。

審査員の満場一致で選ばれる名誉の象徴ともいえる賞で確かに名前を呼ばれ、「まさか!」、そして「とうとうやった!!」という思いが交錯し、夢見心地なままステージに上がりました。食品部門で日本企業が受賞するのはモンドセレクションの歴史の中でも3回目、青森県内の企業の受賞としては初めての快挙です。
なぜ、夢見心地だったのか。それは、小さな菓子店が世界に挑み続けた末の一つの頂点が、ここにあったからです。『モンドセレクション』とは、1961年にベルギー政府とEC(欧州共同体)の支援を受けて創設された国際的な評価機関で、食品、飲料、化粧品など、様々な製品の品質を評価・表彰します。審査員はミシュランの星付きシェフ、マスタークック、著名なパティシエ、大学教授、栄養コンサルタントなど、その道の権威ある専門家ばかり。出品した製品は、味覚、香り、外観などの「官能評価」と、製品の成分やパッケージ情報が正確かなどを検証する「科学的評価」の両方で品質を総合的に分析され、会社の規模や知名度といった情報は加味されない、製品単体の品質を評価する「絶対評価」が価値基準となっています。
その結果に応じて最高金賞・金賞・銀賞・銅賞までの優秀品質ラベルが授与されます。また「Prize of the Jury」は、その年の最高得点を取っていても、連続で最高金賞を取っていても、選ばれるとは限らない点が難しいところ。審査員全員による満場一致の高評価になることが必要なのです。(2025年からは銀賞・銅賞が廃止され、基準を満たしたノミニーラベルと高品質な最高金賞と金賞に規格が改定されました)

審査員からは、「上品な風味のコーヒークリームが詰まった素晴らしいミニケーキ」「味わいのバランスが大変良く、コーヒーの風味と、強すぎない甘さが絶妙で、完璧に均整が取れている」などといった講評をいただきました。『モンドセレクション』への挑戦8年目にして手にした栄誉に、「昭和生まれのお菓子が、令和となった今も高く評価してもらえた」ことに感謝の気持ちでいっぱいでした。
この年、商品改善の一つとして、「生産地の情報を正確に伝える」という目的で外箱を飾るリボンに、リボンと同色の「青森県型のタグ」を添えました。『モンドセレクション』の審査基準は、味覚のほかに衛生基準、原材料、パッケージ、消費者への情報提供なども総合的に判断されます。この受賞については翌月に青森県庁を訪問し、宮下宗一郎知事に報告させていただきました。銘菓シャロンを召し上がってくださった宮下知事からは、「大きな賞を受賞され、おめでとうございます。これからも多くの人に愛されるお菓子を作り続けてください」という激励の言葉をいただき、ありがたく思いました。

名前のない試作品が、お店の看板商品に

昭和44年(1969年)に父 洋三がお店を創業した当時、冷蔵機器があまり普及していなかったため、ケーキといえば常温で日持ちするバタークリームが多く使われていました。高度経済成長で市内にひしめいていた他のお店との差別化や、そして何より「生クリームの美味しさを知ってほしい」という思いで、父は思い切って高額な冷蔵機器を導入し、生クリームのケーキ作りに取り組みました。
手軽に持ち歩けて、食べやすい形は? 大人も子どもも喜ぶのは、どんな味だろう? 試行錯誤しながらコーヒー牛乳のような優しい味わいのクリームを薄く丸い形のカステラで包んだ半月型の商品を試験的に作ってショーケースに並べてみました。すると、まだ名前のない試作品はお客様の評判が上々で、あっという間にお店の主力商品に。思わぬヒット商品の誕生を目の当たりにした父は「これは、もっともっと売れる!」と確信を持ったようです。
開店から8年ほど経ち、現在の黒石市前町に移転したのに合わせて、それまでの「甘洋堂」という漢字だけの店名では和菓子のイメージが強いと考え、ふと世界地図で目にしたヨーロッパの街の名前を取って「シャロン甘洋堂」としました。そして、まだ名前のなかった看板商品に、お店を支えてくれていることを感謝して、「シャロン」と名付けたのです。ちなみに、「シャロン」という街は、本当にフランスにあるんですよ(笑。
「一生一品」を磨き上げるため、全国の大会に出品
父は店を興す時から、「二つも三つもいらない。一生のうちに一品、皆様に愛されて名を残すような銘菓を作ろう」と心に決めていました。このシャロンをお店の「一生一品」に磨き上げるため、全国的な品評会への出品を始めたのです。昭和59年(1984年)の第20回全国菓子大博覧会ではシャロンが内閣総理大臣賞に輝き、全国にその名を知られるようになりました。平成2年(1990年)のおおわに国体(青森県大鰐町で開催)にご臨席された三笠宮寬仁親王殿下に献上すると、毎年のように八甲田山の春スキーにおいでになられた際にもお召し上がりいただいたことは、お店にとって大切な思い出です。
この頃、私は大学を中退し、東京の専門学校でお菓子作りを学んでいましたが、卒業する頃に父が体調を崩したことから帰郷して店を手伝うことにしました。職人として店に入ると、父が手持ち資金も多くない中、ゼロから店を興すためにどれほどパワーを使い、お店継続のためにどれほど苦労したかを実感しました。
父の体調が回復し、一緒に工場でお菓子を作りながら「少しでも商品の格を上げたい」と全国菓子大博覧会に出品を続けるうち、平成元年(1989年)には「銘菓シャロン」は名誉無監査賞をいただき、「黒石シューロール」など他のお菓子も受賞を重ねていました。「もしかしたら、親父のお菓子は世界でも通用するんじゃないか?」。それまでに東京など大都市で暮らし、消費者の動向やお菓子業界の流行を見ていた私は、世界的な商品の品質保証と大きな知名度がある『モンドセレクション』に挑戦してみようと思ったのです。
エージェントのサポートを受けて「改善!また改善!」
さあ、世界への挑戦を心に決めたものの、審査会の事務局も会場も海外です。「どうやって申請すればいいの?そもそも、うちのシャロンは出品できるの?」。インターネットが現在ほど身近なものでなく、手探りで情報収集を始めると、申請書をはじめ商品ラベルや食べ方の製品説明など全ての応募書類が英語かフランス語、海外銀行への審査料の送金、審査のための商品の輸出など、調べるほどに海外挑戦のハードルの高さが感じられました。
特に、商品のプレゼン資料を的確な英語に翻訳してくださる方を探すことに相当苦労しました。なぜなら、食品の場合、味わいや香りなど微妙で繊細なニュアンスの表現や、原材料や製法など専門的な知識が必要とされるので、英語ができればいいというわけではないからです。他にも、冷蔵商品を扱う輸出業者を探したり、ネット銀行もまだ一般的ではなかったので海外送金自体も素人には大きな壁として立ちはだかりました。
不安を抱えながらセミナーに参加したり、公的支援機関の協力を仰いだりしたところ、エージェントと呼ばれる代理店の方と出会うことができました。やはり行動あるのみです。「たくさんの困難を一手に引き受けてくれるなんて、本当に信用していいのか?」。そんな不安もチラリと頭をよぎりましたが、すがるしかない神様との運命的な出会いにも感じられました。その東京のエージェントの方は「石黒さんは、商品をもっとブラッシュアップすることに注力してください。そのほかの出品に関する手続きや準備は、全て私どもが請け負います!!」と力強い言葉をくださり、勇気が湧きました。気がつくと、私たちが商品のブラッシュアップに集中するために必要不可欠な“モンドセレクション請負人”となっていました。
でも、初めての海外出品が目前になると、またも不安が。審査する外国人の口に合うだろうか? 国内で内閣総理大臣賞受賞の商品に傷をつけてはいけない。そこで、海外でも食され、味が知られているロールケーキをシュー生地で巻くというオリジナリティがある「黒石シューロール」を出品してみて、問題点を修正する経験を積んでから「銘菓シャロン」につなげる“作戦”を考えたのです。

そうして初出品した『モンドセレクション2016』で「黒石シューロール」は、残念ながら銀賞でした。速報メールを見た時は、スタッフたちと「うぁ〜、、、」と落胆しました。試行錯誤と工夫を重ね、最高においしい状態のものを出品し、審査に必要な資料作りなど初めて尽くしの大変な作業も大量にこなしてやっとの思いで出品までこぎつけたのです。味わいなど商品には自信があっただけにやりきったかのような気持ちになり、「金賞がとれるのでは?」という安易な期待を持っていたのでしょう。
でも、ここで挫けるわけにはいきません!「挑戦するなら、10年は続けよう!」。そう思っていたからです。早速、「何がダメだったのか?」と気持ちを切り替えてみんなで考え始め、自信があった味わいなどについても妥協することなく検討を重ね、食品表示や衛生的な問題、包装やデザインなど、検討するべき項目を挙げ、改善を始めました。
『モンドセレクション』で金賞!世界に認められた

“本命”のシャロンを出品するにあたり、原材料や製法を見直し、味わいや風味を磨き上げ、HACCPに基づく衛生管理を導入し工場内の衛生レベルを向上、食品表示やホームページでの情報提供を強化しました。商品全体をブラッシュアップして2017年の『モンドセレクション』に出品した結果は、「Gold」! 名前がなかった商品が試行錯誤で品質を高め、世界で認められる金賞を受賞したことに、父も家族もスタッフも、一緒に取り組んできたみんなが喜びあいました。
2017年5月29日、地中海の島国マルタ共和国で行われる授賞式に、私と父は初めて出席しました。世界の500社以上が参加する授賞式は各国の正装またはタキシード、ドレスでの参加が決まりです。1社ずつにメダルと賞状がステージで授与され、終了するまでの4時間ほど会場は熱気に包まれます。名前が呼ばれ、73歳の父と共に一歩ずつ階段を上がってステージ中央に着くまで1〜2分でしょうか。それまでの苦労やいろいろな思いが込み上げました。
父は、私が「やりたい」と言えば、「やってみれば」と背中を押してくれます。後からお小言を言われることもあるのですが(笑)、やろうとする時に止めることはしません。その点については感謝しかなく、だから何にでも飛び込んでみることができたのです。その父と並んでモンドセレクションのパトリック・ド・ハリュー会長(当時)からメダルを受け取り、記念撮影した時間は、とても感動的でした。
授賞式会場では、私たちと同規模の日本の化粧品メーカーの女性社長さんと出会いました。「少しでもいい商品をお客様に届けたい一心で商品を作っているけれど、なかなか思いが伝わらない。モンドセレクションに挑戦するようになって品質が向上し、スタッフのモチベーションも上がりました」と話していました。別の会社社長の「小さくても、無名の会社でも、大手企業と肩を並べて品質を評価してもらえる。こんな機会は滅多にない」との言葉に、「そうそう!そうですよね!」と大きく共感しました。そんな出会いがあることも励みにつながりました。
改善点は常にある。改良重ねて「最高金賞」に!
父が作り出し、育てたシャロンが、「ここ」まで来たよーー。そう伝えたくて二人で出かけたマルタ共和国で、父は英語での会話はできなかったけれど、授賞式と海外の景色や空気を十分に楽しんだようで、帰国後は「あー、いがったなぁ」としみじみ何度も言っていました。それを聞いて、「おっかぁも連れて行かないとダメだな」という気持ちになり、それが次の挑戦への原動力にもなりました。
金賞をいただいた銘菓シャロンを、よりなめらかな食感に改良し、パッケージの見直しなど改良を重ね、試作を重ねるうちに夜中になることもありましたが、「モンドセレクションを取ったらますます美味しくなったね」とお客様に言われることが増えました。その声に後押しされ、一層の改良を重ねました。でも、翌年はまたも金賞。狙っていた、その上にある「最高金賞」にはなかなか手が届きません。
この頃は、がむしゃらに挑戦した黒石シューロールが銀賞となり、安易な受賞の目論見が外れて落胆した時とは違い、かなり全方位でさまざまな分野で改善し続けたことで金賞受賞を重ねていましたが、その上にある「最高金賞」への一歩は、とても遠く感じられました。「何」が必要なのか見失いかけていた時に思い至ったのは、原点である「お客様本位」に立ち返ることでした。
どうしたらお客様を笑顔にすることができるのか。「銘菓シャロン」をおいしいと思っていただけるよう作るのはもちろん、買ってくださったお客様から受け取ったお客様など、手にしてくださった全ての皆さまが笑顔になるような「銘菓シャロン」でなければいけない。そう考えるうちに、改善するべきポイントに気づくことができました。冷凍での配送でも美味しさを保てるよう味わいを調整し、遠方へのお土産にお持ちいただいても形や冷たさを保てる箱を作り、包装を環境に配慮したエコ仕様に変えるなどして、「お客様本意」を中心において改良を重ねたのです。

そして迎えた『モンドセレクション2019』。とうとう念願だった「最高金賞」を受賞できたのです!この待ちに待った授賞式には、当時小学3年生だった息子と行くことにしました。行くと決まると息子は早速、地球儀を買ってきてぐるぐる回しては、ローマや乗り換え地の北京を探すなどして楽しみにしていました。
学校を休ませましたが、単なる海外旅行ではなく、モンドセレクションに関わるたくさんの人たちと会い、通訳を挟んで話をしたり、格式ある授賞式会場でシーンと静まり返った後に授賞の名前を呼ばれた各国の人たちが喜びを爆発させる熱狂的な雰囲気などを感じて欲しいと思ったのです。お菓子屋を継いで欲しいという気持ちではなく、小さな町の小さなお菓子屋でもこんな場面に立てることを見て欲しかったのです。ローマの街並みは美しく、素晴らしかったですが、それ以上に二人でステージに立った授賞式は格別でした。
挑戦の節目の年は「7年連続最高金賞」に!
最高金賞の受賞は、毎日作っているとともすれば「日々のこと」として慣れてしまいがちな現場に、常に緊張感を持たせてくれる効果もあります。その頃には、それまでの経験から、改善ポイントを見つけるコツのようなものが少しわかるようになってきました。例えば味ひとつ取り上げても「その時代においてのおいしさ」があり、おいしい基準は少しずつ少しずつ変化します。甘さについても多い、少ないだけでなく、キレのある甘さが好まれるといった嗜好の傾向を見極めて、改善を重ねました。
2020年、21年はコロナ禍に見舞われながらも事務局サイドの尽力で審査会が実施され、私たちも継続して最高金賞を受賞することができました。さらに、2023年には最高金賞を連続5回受賞、そして「Prize of the Jury」を受賞することができたのです。授賞式には妻と一緒に参加し、宮下青森県知事にご報告させていただいたほか、プレスリリースを発信するなどしたことで、売上にも好影響があり、また人脈が広がったことも大きなメリットでした。
2024年も最高金賞をいただき、自分たちの挑戦の“集大成”として精一杯取り組んできた2025年には、インバウンドの増加や食の安心安全を求める傾向の強まりから、アレルギー表示をわかりやすくするため食品表示にピクトグラムを加えるなどし、最高金賞をいただきました。残念ながら再びの「Prize of the Jury」には手が届きませんでしたが、「7年連続最高金賞」という結果は自分たちにとって大きな誇りです。
世界に挑戦し続けた10年目の授賞式は、チェコ共和国のプラハで5月に開かれました。同行したのはずっと連れて行きたかった母、そして二十歳の娘です。4度目となる海外での式典でしたが、改めて「日本の一企業である」との思いで授賞式に臨みました。二人は日本の正装である着物を持ち、事前に着付けを習った母から、娘は妻が成人式で着た振袖(実は私が贈ったものです)を着付けてもらいました。男性のダキシード、女性も黒のドレスが多い授賞式会場で赤い振袖は大いに目立ち、審査員の方をはじめ多くの方に声を掛けて頂き嬉しい限りでした。

3人で授賞式のステージに立って思うのは、父の隣で母がいつも支えてくれていたから、これほどの受賞を重ねる「銘菓シャロン」が生まれたということ。何しろ職人気質で、「これだ!」と思えば突き進む父に対して、「もっといい作り方があるんじゃない?」「きっとお客様はこんなの欲しがるんじゃない?」と問いかけ、軌道修正するのは、いつも母です。新商品の試作を重ねる中で、「もう少しだね」と再考を促して奮起させてくれるのも母です。そのひと言のお陰でみんなで粘って考え、“より良い完成形”を見つけてこれたのだと思っています。
そんな母は、75歳を超え、時折、大きな目眩に見舞われるようになりました。今回の授賞式への渡航も心配したのですが、何事もなく無事に晴れの舞台を楽しめたのはありがたいことでした。そしてこれまで、家族全員が授賞式に出席できたことも感慨深いものがあります。
10年間を「やり切った」思いと、「もっと美味しいお菓子を」
シャロン甘洋堂の朝は、父が工場で働き出す朝4時頃から始まります。母が店に立って日々お客様と向き合い、経理をこなし、家族の面倒も見てくれます。私が小さい頃から続く、この1日の流れは今もさほど変わっていません。「お菓子屋」というのは、正月やお盆、夏休みのような長期連休など、人が動く時は「お菓子が売れる時」なので、家族総動員で働きます。両親が工場や店にいる間、幼かった私や弟も家のことを手伝うのは当たり前。そんな中でも、小学校の運動会や学芸会の日には、父は前倒しで午前2時頃から必要な仕事を終え、通常の時間に出勤するスタッフにバトンタッチし、学校に来てくれました。自分が次男坊で若い頃に実家を出た父は、「おめだぢ(お前たち)の学校行事は欠かせない!」と言い、毎年見に来てくれたことは嬉しいことでした。
創業から50年以上経つ今も、80歳を超えた父は私より早く朝4時頃に工場に入る日もあります。長年続けてきた仕事の時間が体に染み込んでいるのでしょう。妻も朝5時半頃には工場に来て、母はみんなの朝ごはんを準備し、家事をこなし、夜は勘定をまとめる日々。家族みんなで出かけることがなかなかできないお菓子屋ですが、モンドセレクションに挑戦したことで父の大切な「一生一品」である「銘菓シャロン」が、世界の舞台で堂々と受賞を重ね、私たち家族みんなを華やかな海外での授賞式に連れて行ってくれました。本当に誇りに思います。
モンドセレクションへの10年にわたる挑戦は、私一人では決して成し遂げられませんでした。数々の喜びと、ときに挫折を味わいながらも、立ち止まることなく挑み続ける原動力となったのは、日々の製造や販売を支えてくれたスタッフ、そして家族の存在です。彼らがいたからこそ、モンドセレクションの知名度が上がって競争が激化する中でも、この困難な道に挑み続け、「やり切った」という達成感を持つことができました。そして、「銘菓シャロン」を通して、地元・黒石、青森県についても少しは発信できたのではと思っています。
「おいしいお菓子でみんなを笑顔に」という父から受け継いだ言葉を羅針盤に、これからも「挑戦」する気持ちと緊張感を持って工場やお店に立ち、お客様に寄り添うお菓子を作り続けていきたい。銘菓シャロンが世代を超えて愛され、いつまでも皆様の笑顔の中心にありますように。
(Writer / 小畑智恵)

受賞歴

銘菓シャロンは、数多くの賞を受賞しています。
(審査報告書
